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飲み会 愚痴 世代間 [心理]



今日は会社の飲み会でした。私自身こうした飲み会はあまり好きではなく、いつも仕事が終わればすぐに帰ります。

飲み会に参加して気づいたことがあります。

それは

【不思議なもので、飲み会の席で不平不満を言ったり、その場にいない人の悪口を言うのは大抵年配の方々が多い。逆に若い世代ほど悪口が出てこない。】

アラフォー、のおじさんたちが愚痴大会で盛り上がっている中、20代の若い世代は愛想笑いしながら居心地悪そうに話を聞いてました。

帰宅後、飲み会の席にいた20代の男の子にメールして聞いてみました。

私:「いつもあんなに噴出するのか?」

若者:「まぁー大体あんな感じです。大人は怖いなー」

私:「若い世代ほど悪口が出てこなかったよね。」

若者:「どうなんでしょう。僕は思っても口には出さない性格ですし。というよりそういう感想が出てこない気がします。無関心なだけかな?」

なるほど。。。



飲み会が終わり帰りの電車の中で悶々と考察しました。




ここからは抽象度を上げて話します。

自我・エゴといった意識の構造体(ストラクチャ)はバラバラになることを避けるようになっているのではないか?

構造体の面白いところは成功しても失敗してもいずれ崩壊(分解)してしまうという事です。

だから構造体のままでいたければ、互いの間に「緊張状態」、つまりなにか問題を維持していかなければならない。

構造体は構造体として完成した時に崩壊するという考え方は最初、私にはとても奇妙に思えました。

そこでいろいろ例を調べてみたんです。

・歴史上の大帝国はその絶頂期に達して反対勢力がなくなると、分裂するか滅亡してしまいます。

・莫大に遺産を手にした人は浪費して結局は自滅します。

・権力は腐敗します。

・宗教は分派や異端に分裂します。

・地上を支配した生物は、不思議と絶滅してます。

・細胞は二つに分裂します。

エゴはそれ自体危険にさらされている緊張感があると気分良く感じるものなのです。
あまりネガティブな方向に行ってしまっても壊れてしまいますが、人は適度な心配を欲して悩むのが好きなのです。

自分を定義し、自分が何であるかを規定しようとすると、私たちは自分が何に同意していないかによって、示そうとする傾向があります。そして、他人に対してもその人の悪いところを見てその人がどんな人であるか決めてしまうものです。

自分とその人との違いをとことん探していきます。

他の人のよいところはなかなか見えないし、実は、そこにはあまり興味がないんです。

ともすると人間は生物の中で唯一、自分で自分の最悪の敵になることによって、ネガティブな緊張を保ってきたのです。そして、いわゆる”にんげんのさが”なるものを完全に克服できず昔から同じゲームを続けてきたのです。

若い世代の人たちはそうしたモノが気薄な印象があり、そうした意味では悟ってる?ようにも感じます。




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